小学生の頃、好きな歌手、タレントのブロマイドや雑誌の切り抜きを集めて、友人同士で交換することが流行っていました。
女性タレントのファンになったところ、親からゴミを見るような目で「あなたは変」と言われ続けた話です。
HN:ユキ。
未経験者への「情報の提供」よりも、同じ思いをしている方との「共有」に重きを置いています。
「切り抜き交換」が爆発的に流行っていた時代
私は一人の女性タレントのファンになり雑誌の切り抜きを集めたり、友達と交換したりして楽しんでいました。
パソコンやインターネットが普及し始めたばかりの段階でばかりの時代でしたインターネットでファンになった女性タレントの画像検索し、プリントしてオリジナルの切り抜きを集めたりもしていました。
女性タレントのファンになる
私は、男性タレントや歌手をはじめ好きな芸能人・有名人は沢山いましたが、一番好きになったのは海外の女性タレントでした。
先に申し上げておくと、私は同性愛者ではありません。
なお、同性愛に関する差別や偏見もありません。
というか、興味があるものにはとことん興味がありますが、ほとんどのことに興味がないからです。
同性愛に関して言及する記事はないので、話は戻ります。
ゴミを見るような目で否定される日々
女性タレントの切り抜きやブロマイドを集めたり、「かわいい」「綺麗」と言葉にする私に向かって、母は何度も「変」と言いました。
笑って冗談っぽく言うのではなく、ゴミでも見るような歪んだ顔で「変だよ」と、何度も何度も繰り返し言いました。
どのような表情かというと、道端の吐しゃ物や犬の糞を見るような顔という感じでしょうか。
父も私が同性愛者だと勘違いをしていたようで、「○○さんは、ユキにとってどんな存在なの?」と気持ちの悪い笑顔を浮かべながら、頑張って優しい言い方をしていると言うのがはっきりとわかる口調で聞いてきました。
同性愛者だったらどうするの?と、子どもながらに軽蔑しました。
あまりにも馬鹿馬鹿しく、相手にする気にもなりませんでした。
私は同性愛者ではないので、「変だよ」とゴミを見るような目で言われ続けても何とか我慢できました。
しかし、同性愛者だったら?心の傷の深さなどというものではないレベルで傷ついたでしょうし、自ら人生を終わらせても全く不思議ではありません。
人を否定することが当たり前の両親
自分が否定され続けており、また、何もかもをゴミを見るかのような歪んだ顔で否定し続けている2人を見てきました。
人を肯定する言葉を使えない人間だから、私が「かわいい」「綺麗」など、人を肯定する言葉を発することに驚いたのでしょう。
父「人として扱っていないだろう!」、私「当たり前だろう」
とあるトラブルが起こり、父から「人として扱っていないんだろう」と言われました。
扱っていません。当たり前です。物心付いたときから感情をコロしていました。
散々な思いをさせられており、幼少期に自分が人格を尊重されていると感じたことはありませんでした。
私は、両親のように歪んだ顔で他人を否定する人間にだけはなってはいけないと思っています。
しかし、私も感情があるので、物心ついた時から自分を否定し続ける両親のことだけは、否定します。
両親の人格も、存在も否定しながら生きていきます。
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