映画『国宝』を観て──これは「誰にでも面白い映画」ではない

映画『国宝』を観て──これは「誰にでも面白い映画」ではない

※ネタバレが含まれる場合があります。
※個人の感想です。作品や関係者を批判するものではありません。

映画『国宝』を拝見いたしました。
結論から申し上げますと、本作は「万人向け」の映画ではありません。しかしながら、刺さる方には静かに、そして深く残る作品であると感じました。

正直に申し上げますと、この作品は映画館でなければ成立しにくい映画でもあります。
自宅のテレビや配信で鑑賞していた場合、途中で集中力が途切れ、眠ってしまっていた可能性も高いと思います。

筆者:はらまき

視聴した映画本数約2,400本、映画レビューを簡潔に書きます。
「わかる~」と共感するもよし、「全然違う」と思うもよし。映画は、”人それぞれ受け取り方が違うこと”を楽しむものでもあります。

三時間という上映時間と、集中力の問題について

上映時間は約三時間です。
三時間という上映時間には、正直なところ不安がありました。

実際、鑑賞中に全く別のことを考えてしまう瞬間もありました。

それでもなお、「映画館で観てよかった」と思えたのは、本作が映像と音響によって成立している映画であったからです。

映像美と俳優陣の存在感

まず何より、吉沢亮さんのお顔立ちがあまりにも美しく、しばらくはただ見とれているうちに時間が過ぎていきました。

失礼な言い方になるかもしれませんが、これは率直な感想です。

また、横浜流星さんをはじめとする出演者の皆様が、どれほどの稽古を積まれたのかを想像すると、それだけで鳥肌が立つ思いがいたしました。

実際、映画のどこかの場面で鳥肌が立った記憶はあるのですが、具体的にどの場面であったのかは思い出せません。

それほど、作品全体の「雰囲気」に包み込まれるような鑑賞体験でした。


小説原作としての省略と、その前提条件

『国宝』は長編小説を原作としています。
映画版はそのダイジェストであり、物語の展開がやや飛び飛びに感じられる箇所もありました。

ただし、これは欠点というよりも「前提」であると感じています。

原作小説を読む、あるいは聴くことで補完することを前提とした構成であり、その二つを合わせて初めて、この作品は完成するのではないでしょうか。

私は途中まで原作を読み、映画を観ました。

これから原作の残りを読む予定です。

映画の余韻が残っているうちに原作に触れることで、登場人物の合理性や冷徹さ、そして芸を極めるための選択が、より立体的に理解できるのではないかと期待しています。

主人公の合理性と、共感できる部分について

主人公は、芸を極めるために人間関係を切り捨て、時には他者を利用するという冷徹な選択を重ねていきます。

多くの方は、その姿勢を「ひどい」「冷たい」と感じられるかもしれません。

しかしながら、私自身が彼の立場であったとしても、同じ選択をしただろうと思いました。

芸を極める世界においては、感情や倫理を優先すれば、決して到達できない領域がある。その現実を、この作品は誠実に描いていると感じます。

そのため、私はこの主人公に強い共感を覚えました。

「伝統芸能」という前提条件について

本作は、「伝統芸能」「日本人としての文化的背景」という前提条件の上に成り立っている部分が非常に大きい作品です。

そこに関心や理解がなければ、正直なところ、かなり退屈に感じられる可能性もあると思います。

映画好きでもなく、小説を読む(聴く)こともあまり好まない方が、「話題になっているから」「時間があるから」といった理由で鑑賞された場合、この作品は子守歌のようになってしまうかもしれません。

刺さらなかった方の記憶には、吉沢亮さんの美しいお顔立ちだけが残る、ということも十分にあり得ると思います。


映画館で観るべき理由

それでもなお、本作は映画館で観る価値のある作品であると強く感じました。

理由は明確で、

・大きなスクリーンによる映像の迫力
・静寂と緊張感を含んだ音響
・周囲の視界や生活音が遮断された環境

これらが揃って初めて、『国宝』という作品の「空気感」を体験できるからです。

自宅で鑑賞していた場合、この独特の緊張感や間合いは、おそらく失われてしまったでしょう。

刺さる方には、静かに深く残る作品

本作は、大きな感動や分かりやすいカタルシスを与える映画ではありません。

しかしながら、刺さる方には、後からじわじわと心に残る作品です。

私はこの映画を通して、
「芸を極めるとはどういうことなのか」
「何を捨て、何を選ぶのか」
という問いを持ち帰りました。

それだけで、この映画を鑑賞した価値は十分にあったと感じています。

レビューカテゴリの最新記事