「私のお母さんは、なぜあんなにも父親にしがみつき、子どもである私達を守ってくれなかったのか――」
そう考えるたびに、悔しさや怒り、憎しみに似た感情がこみ上げてきます。
それは当然のことです。
私は“被害者”であり、“巻き込まれた存在”だからです。
この先に書くのは、母親を許すための話ではありません。
「なぜそんな母親が出来上がったのか」という“構造”を知ることは、私自身の人生に呪いのようにこびりついた感情を整理し、自由になるための第一歩だからです。
同じ体験を持ち、その”呪い”に現在も苦しみ続けている方は、ぜひ参考にしてみてください。
母親もまた、「愛されない子ども」だった可能性がある
まず前提としてお伝えしたいのは、私の母親もまた、親から十分な愛情を与えられずに育った可能性が高い、ということです。
もちろん、それは私を傷つけたことの免罪符にはなりません。
ただ、彼女は自分が育った歪んだ家庭の中で、「人に尽くせば愛される」「見捨てられないためには我慢しなければならない」という“歪んだ愛の形”を刷り込まれてしまっていたのかもしれません。
その結果、私の父親のような、威圧的・支配的・感情的に不安定な相手に対しても、
「自分がなんとかしなければ」
「この人を捨てたら、自分は価値がない」
と、自分を犠牲にする関係にのめり込んでいったのです。
母親の「しがみつき」は、私達を守らなかった言い訳にはならない
多くの人がここで引っかかります。
「それでも、自分は子どもだった。なぜ守ってくれなかったのか」と。
私の疑問は、正しいです。
母親がどういう背景を持っていたとしても、子どもを守るのは親の責任です。
その責任から目を逸らし、「自分もつらかった」と言い訳する人間を、無理に理解したり、許したりする必要はありません。
私の怒りは自然な感情であり、無視するべきものではありません。
「支配される愛」が当たり前になっていた母親
もし母親が、暴力・無視・暴言が当たり前の家庭で育っていたなら、彼女の中では「人からひどく扱われること=愛されること」と、無意識にすり替わっていた可能性があります。
父親から冷たくされても、暴言を吐かれても、
「でも、たまに優しいときがある」
「自分のせいで機嫌が悪くなっただけ」
と、母親は相手をかばい続けたのかもしれません。
しかし、それは「共依存」という危険な心理状態であり、破壊的で苦しいのに、壊れるまで続く。
母親自身が“愛する”ということを誤解していたという事実を意味します。
そしてその誤解の犠牲になったのが、私達なのです。
「この人さえ変わってくれたら」という幻想にすがっていた
私の母親は、父親のたまに見せる優しさや謝罪に期待し続けていたかもしれません。
それは、何年経っても変わらない“幻想”だったのに、手放すことができなかった。
でも、私にはそれが分かっていた。
子どもの頃の私は、母親が繰り返し同じ期待と絶望を繰り返す姿を、冷静に見つめていました。
「なぜそんな人を信じ続けるの?」
私の心の中にずっとあったその叫びは、本物です。
「弱さ」ではなく「無責任」だった
「母親も弱かったんだよね」と、誰かが言うかもしれません。
でも、弱さと無責任は別物です。
苦しみながらも、自分の傷に向き合い、子どもを守るために闘う親もいます。
私の母親は、自分の傷に向き合わず、私達にそれを押しつけてきた。
それは「弱かった」のではなく、「向き合わなかった」――つまり“無責任”だったのです。
あなたも、もう終わらせていい
ここまで読んでくれてありがとうございます。
これは、母親をかばうための話でも、理解して「優しくしなさい」と求めるものでもありません。
私が抱えてきた「なぜ?」を言葉にして、傷を見える形にするためのものです。
そして、あなたももう、母親の代わりに苦しまなくていい。
母親の人生を背負う必要も、理由をつけて許す必要も、ありません。
私は、父と母の歪んだ関係に巻き込まれてきた
私の育った家庭には、明らかに“健全ではない空気”が流れていました。
それを許し、すがり、我慢し続ける母
その間で空気を読み続け、子どもであるはずの私と弟が“大人の役割”を担ってきた
私達のような毒親育ちが、「なぜ、母はあの父を見捨てられなかったのか?」「なぜ、私達は守ってもらえなかったのか?」と苦しむのは、当然のことです。
毒親育ちの人のなかでも、そこから抜け出そうとする人は多くありません。
しかし、私と、これを共感しながら読んでくださっているあなたは、こうして「おかしい」と思い、「なぜ?」を考え、「もう終わりにしたい」と願っている。
毒親育ちの私やあなたには、“真実を見抜く力”がある
私たちは、地獄のような”家族という名の呪い”から、抜け出そうとしています。
それは、私達に以下のような“特別な感情”があるからです。
① 「これは愛じゃない」と線を引ける目
私達は、子どもの頃に両親の関係を見ていて、「これは愛ではない」「両方とも壊れている」「このままでは自分まで潰れる」と直感的に気づきました。
そして、その直感を見過ごさず、何年かかっても、言葉にしました。
その感覚は、絶対に間違っていません。
② 「自分自身を観察する力」がある
私達は、ただ傷つくままでは終わらなかった。
「自分はなぜ、母に怒りを感じるのか?」
「自分の他人に対する“優しさ”は、本当に健全なものか?」
そうやって、自分の心の癖や、他人に対する過剰な期待を客観視できる力が育っています。
この力があれば、私達はもう同じループには戻りません。
③ 「言葉で整える力」がある
私達は、家族の中にあった得体の知れない空気を、ちゃんと「名前をつけて」「理解しよう」としています。
「あれは愛じゃない、共依存だ」
「母は犠牲になりたかったのかもしれない」
「私は、誰かの犠牲にならない」
これは、私達が“感情の言語化”という武器を手に入れている証拠です。
感情を言葉にできる人は、自分を壊さずに前へ進める人です。
④ 私達には「健全な愛を生きたい」という願いがある
毒親家庭に育った人の多くは、「我慢が愛」「犠牲こそ正しい」と刷り込まれています。
けれど、私達はそれを疑った。
その思いを捨てていない私達は、絶対に壊れない。
むしろ、自分で自分を立て直せる人です。
⑤ 私達は「親の異常性」を直視できる勇気がある
あなたの父は、暴力・無関心・自己愛の塊だったかもしれません。
あなたの母は、子どもや自分の親より夫を優先し、あなたを孤独にしたかもしれません。
それを直視するのは、怖く、苦しいことです。
でも、私達は逃げずにそこに向き合っている。
それだけでもう、私達は“被害者”ではなく、“自分の人生を取り戻す側の人間”です。
私達の見立ては、鋭く、正しい
「父は“彼女が何をしても絶対に離れない女”だから結婚したんじゃないか?」
あなたも、このように感じたことが数限りなくあるのではないでしょうか?
――この感覚は、ほぼ正確でしょう。
それは愛ではなく、「支配欲」や「自己正当化のための安心感」を得るための関係です。
母は、「捨てられたくない」「家族という”形式”を壊したくない」「我慢すればきっと変わる」と思い続けていたかもしれません。
でも、“しがみつく愛”は、愛ではありません。
それは“恐れ”の別名です。
そして、私達はそこに気づけた人です。
私達なら大丈夫、もう同じ地獄には戻らない
同じような毒親家庭に生まれても、“抜け出せる人”と“飲み込まれる人”がいます。
私達は、
・自分の感情を疑える
・親の影響に気づける
・他者との境界線を引ける
・健全な愛を望める
・それを言葉にできる
そういう“抜け出せる力”を、すでに手に入れています。
それは、私達が何年も、何十年もかけて、苦しみながら、身につけてきた宝物です。
◆ 最後に
私達がこれまで抱えてきた怒り、悲しみ、孤独、恐れ――
それは全部、「自分を守りたい」「ちゃんと愛されたい」と願う、私達のまっとうな反応です。
でも、これからはもう大丈夫。
私達が、「この痛みは自分のせいじゃなかった」と認識できたとき――
その瞬間から、私達の人生は、ようやく“自分のもの”になります。