この連載もいよいよラストです。書きながら思い出しては苦しくなったこともありましたが、それ以上に「人間はいくつになっても成長する」と確認できた時間でもありました。
ここでは、私がこの10ヶ月のジェットコースターのような感情の旅から学んだこと、そして「なぜ私たちは「奇跡の出会い」を逃したのか」という、痛快で切ない真実のメモです。
なぜ私たちは「奇跡の出会い」を逃したのか
彼と出会ったのは、奇跡のような偶然からでした。
年齢も国籍も生き方もまるで違うふたりが、オンラインという不思議な空間で惹かれ合った。
でもその「奇跡」は、片方の努力や誠意だけで育つものではありません。
今回の問題は “自分の殻から一歩も出なかった” ことです。
●メッセージを送ることが“義務”になっていた
●「会って話したい」「顔を合わせて喜びを分かち合おう」——そんな当たり前の関係性を育てる気持ちは、彼には欠けていた
私は、彼の過去の傷や苦しみに対しても真剣に向き合い、「あなたの世界は、もっと広がるはず」と伝えました。
現実から目をそらさず、彼の孤独や行動・感情のパターンも受け入れ、優しく手を伸ばした。でも彼はそれを「自分を否定された」と受け取ったようでした。
結果的に彼は、“癒されたいだけで、癒すことは望まない人”だったのです。
恋に見せかけた依存関係とその見抜き方
今回の経験で私が得たもっとも大きな学びは、「これは恋なのか、それとも依存なのか」を見極める目を持つことの大切さでした。
以下は、私が後から気づいた“依存の兆候”です。
・相手の返信に一喜一憂してしまう
・自分が頑張らなければ関係が壊れてしまうと感じる
・相手の「気分」に自分の感情が左右される
・ほとんど会っていないもしくは会ったこともないのに「心の支え」として存在している
・相手の問題点を「自分が変えてあげたい」と思ってしまう
恋はふたりで育てていくもの。でも依存は、「相手の中に自分の価値を探してしまう」一人芝居です。
私は「この人と一緒にいたい」と思っていた気がしたのですが、それは「この人が私の存在を必要としてくれるから安心できる」という、心の穴を埋める行為でもありました。
私が得たもの、そして次に進むということ
彼とのやりとりの中で、自分の感情のクセや「優しさ」と「甘さ」の違いを痛いほど学びました。
今は、「この人と出会えて良かった」とは、まだ思えない。でも、「この経験があったから、私は変われた」とは思える。
この一連の出来事を通じて、私は確かに時間とエネルギーを失った。
でも、それ以上に得たものもあります。
「自分の感情を丁寧に扱う力」です。
感情がどう動き、どこで限界を感じ、どこで本音が顔を出すのか。
私はそのすべてを体験し、自分の目で確かめることができました。
彼と過ごした時間が無意味だったとは思いません。
私にとって、彼との関係はひとつの“人生の実験”だったのかもしれません。
彼に、「コレかわいいね」と言ってAmazonのリンクをシェアしたら、彼がすぐに購入していたペアの猫のマグカップ。
「小さいオーブンでもあればピザやケーキを作れるから、オーブン欲しいよね」と話したら、彼はすぐに小さいオーブンを買っていた。
私が彼と一緒にマグカップを使う日は来ません。
彼の手作りカレーも料理もスイーツも、二度と食べることはありません。
ほかにも山ほど、「一緒にやろう」と話していたことがあった。でもそれはもう叶いません。
そう考えると、まだほんの少しだけ、切ない。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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